表現という名の(ブログ始めました報告)
経験の本質は、物語にあると思う。
小説や映像に限らない、何かを捉えた時の感情の動きが記憶されて経験と呼ばれるものになる。川岸の石ころ、朝の雲の形を私たちが捉え、意味づけることが物語であって、それを経験として積み重ねていく。
とかふわっとしたことを書いてみました。
ブログなんて柄じゃないけれど、始める理由がいくつかあって、たまたま気が向いた。向いてしまった。こら、気。
ひとつは日記として。詳しく書く必要もない。残ったり消えたりする経験、体験を敢えてラベリングして残そうという思いつきに他なりません。
その時の感情なんて、後味だけ残ればいいのだけれど、それを見返せるようにしたらどうなるんだろう。追体験なんて言えるものじゃないけれど、物語は繰り返すことができるのか、どうか。
それがひとつめ。
2つ目も大したことじゃなくて、情報の吐露。
アウトプットってやはり必要らしい。あまりにも多い刺激を放出する時間、それって「渦巻きを書く」「声を出す」だけでもいいらしいけれど、自分にしては珍しく、とても珍しく、感じたことを文字にしてみたい欲がありました。
このくらいかな。
あとは表現することの練習、みたいな意味合いもある。頭の中で組み立てたものを、人に伝えるためには整理する必要があるし、自分の場合、言語にすることに時間がかかる。不思議やね、言語で考えてるはずなのに。
っていう動機です。
要約すると「カッとなってやった」。
てなことから、人に見てもらいたいっていう気持ちが芽生えてくるかは分かりません。見てもらっても構わないように、砂の表面を撫でる程度に整えはするけれど、人の為のものではないからね。
まあ言い訳です。整えようと努力しても整わない言い訳。
とか、大好きなカフェでノリノリで書いている自分がおもしろい。本日有休です。
気が向いたときだけの日記。さあ、どんなふうになるのかね。
クリームソーダ美味しい。